親不孝にも「私立」の高校・大学に行き、その後留学で大学院を2つも出させてもらっている僕なので、少しは時事問題にもコメントしておかないと、僕につぎ込んだ教育費はなんだったんだ?(笑)って事になるので、今回は日豪関係の不和の種である捕鯨問題についての記事を書きたいと思いますです。 コホン。 ちなみに、民主党の政治寄金問題や権力闘争問題については、マスコミがイヤというほど報道しているので、今回私の意見は控えさせて頂きます(笑)。
えー、オーストラリアに住んでもう10年の僕は、捕鯨問題においては、日本がどれほど野蛮な国として見られているかは身にしみて感じています。
昨日から報道されている日本の研究漁船とシーシェパードの高速船との衝突について、日豪の意見の相違は捕鯨に対する両国の見解の違いをよく表していると思う。
オーストラリアでは、クジラは国民から本当に愛されている存在。ホエールウォッチングなど、観光においても、クジラは人気者です。 また、クジラは、ドキュメンタリーなどでもよく取り上げられ、クジラが我が子を育てるドキュメンタリーは、本当にお涙頂戴ものです。 お母さんクジラは出産後6ヶ月間くらいだったかな、子供のクジラが安全に成長出来る暖かい海で子供に乳(ミルク)を与え続けます。この暖かい海は、天敵がいないので、子供には安全なんだけど、お母さんクジラが食べる微生物もいないので、お母さんクジラは6ヶ月間、餓死寸前の状態になりながらもミルクを与え続け、子供がある程度成長するまでそこに留まります。
子供がある程度成長したら、お母さんクジラは、食べ物のある寒い海へと泳ぎ出します。寒い海には、食べ物であるプランクトンなどが沢山生息するんだけど、天敵も多いんだ。 お母さんクジラは子供を守りながら、長い海の旅をします。
日本の捕鯨船がクジラを仕留めに行くのは、その寒い海なんだ。
やっとのことで子供を育て、天敵から子供を何度も守った後にお母さんクジラを待っていたのは日本の捕鯨船。 オーストラリアでよく報道されるシーンは、捕鯨船が大砲から長い鉄の矢みたいなものをお母さんクジラに打ち込み、お母さんクジラが血みどろになって、子供が悲しい鳴き声をあげるシーン。 どこのマスコミ報道も先入観にとらわれたものになってしまうのは仕方がないことかも知れないけど、このシーンを見ると、やっぱりお母さんクジラがこれまで乗り切ってきた大変さを知っているので、日本の捕鯨(特に大砲と鉄の矢)が残酷極まりないものに見えてしまう。
日本文化はオーストラリアの多くの人に愛されてるけど、捕鯨だけは、許せないものとなっています。 以上、ちょっとオーストラリア寄りの見解を書いてみました。
こうして日本で捕鯨関連の報道を見ていると、報道の見解の違いに驚かされる。
法律で認められているという「調査捕鯨」も、他の国からは「調査」とは名目上だけのことで、本当はただの捕鯨だという見方が強い。
日本人から見たら、鮭やマグロと同じように食べ物のクジラ。
海外から見たら、コアラやカンガルーのように愛される動物のクジラ。
価値観や見解の違いから生じる衝突は、避けられないものなのかな。
中国のある地域では猿を食べるところや犬を食べるところもあるらしい。
長野だっけ、あそこではイナゴを食べるし、僕の好きな納豆は、外国から見れば「腐った大豆」。 食べられる物、食べられない物、食べて良いもの、食べてはならないもの、すべて見解に寄るもののように思える。
さて、そろそろ晩ご飯。 今夜の食卓でははどんな見解が見られるんだろう。
朝の仕事が一段落したのでコメントを書きます。決して仕事をさぼって書き込みしているのではありません。一応言い訳。
食用ほ乳類の問題は食文化と相まって難しい議論になりがちですね。しかし、日本が国際化していく過程においては、特有の文化が世界標準の前に妥協を強いられるのは仕方のないことだと思います。すなわち、クジラ問題も妥協すべき事案なのかもしれません。韓国の犬食や中国の猿食もね。人によっては西欧の牛食も批判の対象になるかもしれません。
ただ、むやみの世界標準化(=文化の均質化)は民族の特異性を喪失することにもつながるので気を付けなければいけませんね。
それはさておき、気になっていることを一つ。シーシェパードという名前はいただけない。例えば、グッド・シェパードって確かキリストのことだよね。“我こそは善き羊飼い”と言い放って妨害行為を繰り返すのは批判されるべきではないかなあ。
投稿情報: Posted by 龍一郎 | 2010/01/08 11:45