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2010/04/10

コメント

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圭介

「宗教関係の儀式」は僕もやってるつもりはないよ。 人が誰かの家に集まって、聖書に関する質問とかをお互いに話し合うだけだし、歌も、最近のポップスミュージックみたいな歌で、実はクリスチャンになってカラオケに行かなくなりました。 昔はカラオケに行ってストレス発散とかしてたけど、教会で毎週歌うから、カラオケに行く必要がなくなっちゃった。 あと、ギターとか弾いてると、バンドに入ってるような気になるよ。
「宗教的な環境が大きく変わること」については、特に抵抗はなかったなぁ。 日本では「宗教」や「神」って言うと、一般の人からかけはなれてるから龍坊はそう思うかもしれないけど、世界的に見たら、「宗教」や「神」が一般的じゃないのは逆に日本だけなんだ。 ここで言う「宗教」や「神」っていうのは、文化的な意味(初詣とかね)ではなくて、人の普段の生活にかかわる「宗教」や「神」っていう意味ね。 つまり、僕の場合は、教会とか、ライフグループとかね。 僕の友達は、たいてい何かやってるなぁ。 イスラム教の友達はラマダン中は断食するし、仏教の友達はたまにお寺に行くみたいだし。 でも、みんないたって「普通」なんだよね。 暗かったり、友達がいなかったりの雰囲気は全くなく、本当に「普通」なんだよ。 だから、ある意味、日本以外、世界中「宗教に囲」まれてるって感じじゃないかな。

Posted by 龍一郎

僕は宗教関係の儀式(というか活動)をほぼやっていないのだけど、キリスト教系の人たちは圭介達のような活動をするのは一般的なの?

圭介は20歳くらいまで僕と同様の環境(宗教的ね)にいたと思うのだけど、宗教的な環境が大きく変わることに関して違和感はなかった?

ここら辺、非常に興味があるんですよ。宗教に囲まれた生活って。そこまで「囲まれてません」って言われそうだけど(笑)

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